ブログのことなど一切忘れていたが、昨今のギャラガー売却問題を目にしてたら思い出したので半年前に思っていたことを今更ながら記事にしていく。
23年夏、チェルシーは生え抜きのスター選手であり将来のキャプテン候補でもあったメイソン・マウントをマンチェスターUへ放出し、多くのチェルシーサポーターが悲しみに暮れた。彼に限らず、ルベン・ロフタス=チーク、カラム・ハドソン=オドイ、ビリー・ギルモア、イーサン・アンパドゥ、ルイス・ホール(実質)など多くのユース出身選手が去った夏であった。
一方で、マンチェスターシティの生え抜きであったコール・パルマーを移籍ウィンドウの最終日に獲得した。ほとんど実績の無い若手に83億円は高すぎると言われていたが、すっかりチェルシーの攻撃の要に。
そして冒頭にもある通り、冬の市場では生え抜きでコンスタントに活躍もしているコナー・ギャラガーが売りに出されているという報道があり、多くのチェルシーファンはこれに猛反発している。
そんな生え抜き選手についていくつか書いていく。
〜そもそも生え抜き選手って?〜
導入部分で何度も出てくる“生え抜き”という言葉であるが、厳密にはどういった選手が生え抜きなのだろう?
①忠誠を誓ってそのチームでのみプレーしてきた選手(ワン・クラブ・マン)のこと?
②幼少期をユースチームで過ごし、クラブの中で成長した選手のことだろうか?
③はたまたユースを出て最初にプロ契約を交わしていれば良いのだろうか?
個人的には②と③の中間くらいが生え抜き選手としてのイメージと合っている。
この生え抜き選手の定義については、実際にバイエルンサポーターの友人と話したことがある。
バイエルンはドイツ人の優秀な選手は多いが、他クラブで活躍した後にステップアップしてきた選手が多く生え抜き選手は意外と少ないとのこと。
チェルシーファンとしてはチェルシーユースからバイエルンユースへと移籍した後に大ブレイクしたジャマル・ムシアラこそ生え抜きのイメージが強い。
しかしその友人としては、「バイエルンが育てたとも言えないのでムシアラに生え抜きのイメージは無い。バイエルンの生え抜きはトーマス・ミュラーくらい」と言っていた。
妙に厳しい考え方な気もしたが、そうらしい。
何が言いたいかというと、“生え抜き”という言葉は曖昧なもので、人によって、あるいはクラブの歴史や文化によって捉え方が違うのである。
〜生え抜き選手の利点〜
明確な定義は置いておいて、生え抜き選手の利点はなんなのか。
とあるサッカークラブのオーナーは「忠誠心はデータとして役に立たない」と考えるという。
たしかに、「シュート精度が高い」「走行距離が多い」などの数値として現れるものと比較すると、生え抜きである(=忠誠心がある)という特徴は弱く感じてしまう。
ただし人間がプレイしてる以上、メンタル的な部分は決して無視できるものではない。
そう考えたとき、具体的に生え抜き選手のメリットは以下の3点であると考える。
①サポーターとの良好な関係性
現代の日本人はそれほど地元愛と縁はないが、反してヨーロッパのフットボール文化には強く根付いていると感じる。
地元クラブ出身選手となるとサポーターはより一層選手に対して愛を抱き、それを感じ取った選手は十分なパフォーマンスを発揮できると考えられる。
過去にはサポーターに認めてもらえず関係性が悪化したためにプレーを拒否する大型ストライカーもおり、重要な要素と考えられる。
さらにひとつ付け加えると、選手の人気というのはグッズやチケット販売などの経済的利益にも繋がるということを忘れてはいけない。
②文化や生活への十分な適応
もしあなたが突然、言語も文化も異なる国で働くことになったらどう思うだろう?
スポーツ選手について考える上でどうしてもピッチ外の部分については忘れがちであるが、満足した私生活を送れているかといった点も考慮しなければならない。
自国リーグで大活躍した選手でも、国を跨いでビッグクラブに移籍した途端ほとんど試合にも出られない状態で1,2年で放出される‥なんてことはよく聞く話であるが、大なり小なり生活面の不安定さが関わっているであろう。
その点で言うと、生え抜き選手はユース時代と生活スタイルを大きく変える必要なくトップチームへ活躍の場を移すことが可能であるし、場合によっては家族などのサポートも受け続けられる。
生え抜き選手というのは、ピッチ上の活躍を妨げる余計な心配がひとつ少ないわけである。
③若手選手への好影響
近年プレミアリーグへ定着しつつあるブレントフォードであるが、クラブの大きな特徴のひとつが下部組織を持たないことである。
なんでもロンドンの小さいクラブとしては、優秀な若手はチェルシー、アーセナル、スパーズなどに集まってしまうし、頑張って育ててもトップチームと契約する前にビッグクラブに引き抜かれてしまうのが資金面的に厳しかったんだとか。
当然、アカデミーの選手は一流のプロフットボーラーになるのが目的であるため、どのクラブに所属するかというのも大事であるが故にこれは仕方ないことであろう。
そう考えたとき、アカデミーの選手に対して「自分をしっかり成長させトップチームで起用してくれる」クラブであることを証明するのは重要なことである。
それを実現するためにうってつけなのが、アカデミー出身の生え抜き選手の活躍する姿を見せつけることである。
生え抜きのスター選手の存在は、若手選手へ目標、明確なビジョン、安心感など多くのものを与えてくれる。
〜生え抜きでない選手は〜
それではチームの大半を占める“生え抜きでない”選手はどうなのだろうか?
たしかに上で挙げたような生え抜き選手こそのメリットというのは薄いが、言うまでもなくそれを差し引いても素晴しい選手はたくさんいる。
というか何の縁もない遠くの国のクラブに加入してくれて必死に闘う姿を見ると、下手な生え抜き選手よりもクラブ愛を感じることもしばしば‥。
近年の選手でいうと、セーザル・アスピリクエタが挙げられる。
彼はスペイン出身でありながらファンに愛されるキャプテンとして長くチェルシーでプレーした。
彼の人気はその高い守備力や絶妙な攻撃参加だけでなく、チームのために闘うひとつひとつの姿勢から来るものであったろう。
そんなアスピリクエタのことを「生え抜きでないから」などという理由で評するチェルシーファンなどひとりもいないだろう。
結局、一番大事なのは選手がチームのために貢献してくれることであり、そこに生え抜きであるか否かは関係ないことである、と考える次第である。
逆に言うと、生え抜き選手であろうとチームへの気持ちが薄れてしまったり関係性が悪化してしまえば最早必要な選手ではなくなってしまうということ。
〜結論的な〜
話の終着点が怪しくなってきてはいるが、結論的なことを述べる。
生え抜き選手というのはチームの文化がどうとかいう曖昧なものだけでなく具体的なメリットも存在する特殊な選手である。
ただし、生え抜き選手だからといって何よりも優先されるべき存在というわけでなく、より重要なのはクラブやスカッドそのものである。
サラリーや出場機会、監督との相性やクラブの方針など様々な要因で契約する選手が決まるため、ファンの我々としては今現在チームのために闘ってくれている選手を応援するしかないということ‥。
マウントは出ていってしまったしギャラガーも出ていってしまうかもしれないけど、エンソやカイセド、リース、コルウィルなどどん底のチェルシーでのプレーを選択してくれた選手を応援しましょう。
そして出ていった選手のことも理解して応援しつつ、スタンフォードブリッジに帰ってきたら思いっきりブーイング浴びせてやりましょう。