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チェルシー運営1年生のトッド・ボーリーを振り返る

前オーナーのロマン・アブラモビッチ氏がイギリス政府からの経済制裁を食らったことを発端に誕生したトッド・ボーリー体制のチェルシー

彼はドジャース(MLB)、レイカーズ(NBA)などのクラブの共同オーナーを務めるロサンゼルスのスポーツビジネスの第一人者である。しかし、彼はプレミアリーグ…というかフットボールに関しては素人、つまりフットボールクラブ運営については1年生なのであった。そんなトッド・ボーリーオーナーの1年目を振り返っていこう。

なお、チェルシーに関しても彼は共同オーナーであり、運営については同じくアメリカの実業家であるべハダ・エギバリ氏も深く携わってるが、なんか世間の風潮に倣ってボーリーの1年目ということで。

 

①大忙し、夏のマーケット

オーナー交代によりセンターバックの主力であったリュディガー、クリステンセン、アスピリクエタにフリーで出ていかれ(アスピリクエタは後に再契約)、ヴェルナーとルカクの両ストライカーにも移籍志願され、補強が急務だったチェルシー

そんな状況であったが、せっかく買収したんだしと言わんばかりに前ディレクターのグラノフスカイヤ氏を抑えて移籍の先陣を切るボーリーであった。

しかしながら案の定そう上手くはいかず、リーズのハフィーニャ、セビージャのクンデとクラブ間では合意に至っていたらしいが本人にフラれて獲得を逃す。

そしてダラダラと契約が決まらない中、8月に入りククレジャとフォファナの移籍を決めるが、それぞれ100億と120億となかなかエゲつない高額取引となった。

 

②スタッフ総入れ替え、ボーリーSD爆誕

慌ただしい夏を終えたボーリー。

すると早速、先にも名前が出てきたチェルシーの移籍を仕切っていたグラノフスカイアに加え、TDのペトル・ツェフ、スカウトの責任者マクラクラン、会長のブルース・バックらのフロント陣が総退任。

ついでに広報や宣伝を担当していたウィロビー氏やアトキンス氏を解任。

極めつけには理学療法士のヘッドであるローラン氏(17年在籍)、メディカルチーフのビオスカ氏(11年在籍)も解任。

ちなみにローラン氏やビオスカ氏の解任は、22/23シーズンチェルシー野戦病院化してしまった大きな要因と言われている。

結果、ボーリーオーナー自らが暫定でSDの肩書を付けることに。そう、フットボールをよく知らないボーリーがSDになったのである・・・。

 

③トゥヘル解任、ポッター招聘

前述のビオスカ氏の解任の少し前になる9月7日、ボーリーは約1年前にチェルシーをCL王者へと導いたトーマス・トゥヘルを電撃解任

解任理由としては「将来のビジョンが共有できなかったから」。

ドイツやフランスで散々フロントと喧嘩していたトゥヘルとアメリカから乗り込んできたボーリーが仲たがいすると考える人がほとんどだったと思われるが、PL開幕1カ月後の解任は世界のフットボールファンを震撼させたであろう。

そして翌8日は当時ブライトンの監督であったグレアム・ポッターをアシスタントコーチ陣もろとも引き抜いたことを発表。

ビッグクラブの監督経験のないポッターの招聘には懐疑的な意見が多かったが、ボーリー自身ブライトンの育成や移籍システムに感銘を受けており(たしか)、そういう意味では自然な流れでもあった。

 

➃大物フロント陣結成

チームを再編成するため、まずはフロント陣を固めに入ったボーリー。とてもまともな判断。

10月22日、ASモナコレッドブルグループ、マン・シティなどで重役を担ってきたローレンス・スチュワートをTDとして招聘。

10日27日にはサウサンプトンやマン・シティでスカウト経験の多いジョー・シールズをスカウトディレクターとして招聘。

11月15日、元ブライトンの移籍責任者であったポール・ウィンスタンリーをグローバル人材・移籍担当ディレクターという長い肩書で招聘。

そして12月21日にライプツィヒでTDを務めていたクリストファー・ヴィヴェルを共同TDとして招聘。

TDふたりもいて大丈夫か?と思っていたら23/24のプレシーズンにヴィヴェルが退団してしまったが、育成やスカウトに定評のあるチームで仕事をこなしてきた大物を呼び寄せることでチェルシーの新たなシステム構築を目指したのであった。

 

FFPの抜け道発見、冬のマーケット

22/23シーズン最もチェルシーが注目を集めたのが冬のマーケットであったろう。

英国レコードとなる総額467億を費やして8人の選手を獲得。

マーケット最終日に決まったエンソ・フェルナンデスは170億の移籍金で当時の英国レコードとなった。

夏と合わせると900億以上の移籍金をかけており「FFPどこいった」と思われるが、7年や8年の長期契約を結ぶことで移籍金を分割して計上する抜け道を利用し大型補強を敢行。

(後にUEFAの規約変更により移籍金の分割計上は5年までに制限)

しかし放出がジョルジーニョひとりに留まった結果、スカッド人数が40人近くに膨れ上がり、これも22/23シーズンチームがまとまらなかった大きな要因に・・・。

 

⑥ポッター解任、ランパード招聘

就任直後こそチームの好調をキープさせていたものの、怪我人の続出や大胆な冬の大量選手獲得もあり全く勝てなくなってしまったポッター監督のチェルシー

数字としては1,2月で1勝4分6敗、その間3得点しか上げられない極度の得点力不足に陥っていた。

基本的に長期的な目線でポッターの指揮っぷりを見ていたボーリーであったが、勝てな過ぎてチームは明らかに自信を失っており、ポッター自身も求心力を失ってしまったこともあり、4月3日にポッター監督の解任を決断。

後任としてシーズン終了までの契約でランパードが就任。

ランパードの就任に関してはクラブレジェンドの招聘により選手に発破をかける意図もあったかもしれないが、ランパードの漢気就任でもなければ誰も悲惨なチェルシーの監督をやりたがらないという事実も少なからずあったであろう。

 

⑦放出の夏、サウジコネクション

結局PL12位でシーズンを終えた22/23シーズン。

早急にチェルシーが取り掛からなければならないのは、膨れ上がったスカッドの整理とFFPの帳尻合わせであった。

チームのスターであったメイソン・マウント、カイ・ハヴァーツをそれぞれマンUアーセナルへ100億、120億で放出。

さらに、カンテ、コヴァチッチ、プリシッチ、アスピリクエタ、プリシッチ、メンディ、ロフタス=チークなどCL制覇に貢献した選手たちも退団することになった。

カンテ(フリー)やメンディ、クリバリについてはサウジアラビアのクラブへの放出となり、破綻とはなったがジエシュも同じく、ルカクもサウジリーグへの売却が噂されている。

売却先クラブのオーナーであるサウジアラビアPIFチェルシーの共同オーナーであるエグバリが経営に携わるクリアレイク・キャピタルに出資しており、マネーロンダリング的な形になってるのでは?と色々と批判されるが果たして・・・。

まあ何はともあれ、スカッドの縮小により多額の移籍金と大幅なコストカットを実現し、新シーズンへ向けて進みだすボーリーチェルシーであった。

 

ざっとまとめるつもりがずいぶんと長くなってしまったが、チェルシー運営1年目のトッド・ボーリーはこんな感じ。

とても派手で、ファンとしても色々と大変な1年だった。

書ききれないため主観的な話は省いたので、それについては今後の記事にて。